力持ち(by わだち)

 「自分一人で石を持ち上げる気概がなければ、二人いても持ち上がらない」。ゲーテが遺したこの一節は、長らく私の座右の銘でした。
 多くの人々にとって、高校生活は義務教育の流れを汲み、そう変わり映えしないでしょう。故郷を離れ寮生活を選んだ私も〝文武両道の体現〟こそ、人としての高みであるという価値観を、改められずにいました。競技/勉学という客観的な数字や順位で「優秀さ」が導かれる世界にあったからこそ、私にとって、それは安直で目指しやすいビジョンだったのです。「私自身が、チームや仲間を勝たせる理由になりたい」。責任感の強さが災いしたのか、悲願を目指して助け合うべき仲間は、次第に『打ち負かすべき敵』としての顔を備え始めました。
 そんな単調な世界から抜け出すように、志望大学の欄は「⑴都心にキャンパスを構える、⑵尖った人間が集まりそう、⑶私文」を前提に、偏差値が高い大学を上から順に埋めていきました。「政経なら『やりたいこと』ができたとき、応用も効くだろう」。当時の考えは間違いではありませんが、ある意味で正解でもありませんでした。そのような志向性は、おおよその大学生が卒業するまで抱けないものだからです。
 この奥山ゼミを志した当初の理由も、同期仲/上下関係/地域や外部組織との関係性が豊かであり、出会いの刺激を最大化できる環境だったことでした。
 しかし、1年間のゼミ活動は思わぬ収穫をもたらしました。産学連携の現場で企業や自治体と協力しながら課題と向き合う中で、各プロジェクトに様々な「個」が反映されていることに私は気がつきました。一方ではユーザーの感情に寄り添うチームがあって、他方ではマーケティングに挑むチームがある。求められる「学生ならではの視点」に腐心するチームもあれば、培ったノウハウを活かすチーム、明るくない領域に嬉々として挑むチームだってあります。
 つまりそこは、成績順で発言量が決まるような直線的な環境ではありませんでした。自分自身の『個』を見極め、どういう方法なら価値提供を最大化できるか、真摯に問える場所でした。
 巨岩は、一人では決して持ち上げられない。だからこそ大切なのは、一人で持ち上げられるほどの力を目指すのではなく、みんなで持ち上げる手段を問うことです。全てを抱え込み完結する人より、手を取り合える人間を目指してほしい。真に仲間を支えるような「力持ち」とは、誰よりも仲間の力を信頼し、尖らせる者ではないでしょうか。もしあの頃の私に会えたなら、真っ先にそう問いかけたいと思います。


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